国連憲章(1945年)は、人権及び基本的自由の尊重を謳っているが、民主主義(Democracy)の表現は使われていない。国連人権宣言(1948年)は「人々の意思は, 統治の権力の基礎である。この意思は, 普通かつ平等の選挙権に基づき行われる真正に定期的な選挙において表明されなければならない」(21条3項)と定め、市民及び政治権利規約(1966年採択)で参政権などが規定された。植民地独立付与宣言(1960年)は、「すべての人がその政治的地位を自由に決定できる権利」を再確認した。これらの文書が国連の民主主義の促進に関する根拠とされる。
国連は、選挙や憲法制定プロセスに関与し、多数の国の独立、民主国家建設に大きな役割を果たした。しかし、米ソ冷戦期には、国連が民主主義を標榜し独立した加盟国内の政治体制, 慣行に対する積極的な行動をとる機運は生まれなかった。国連の公式文書で民主主義の表現が使用されるようになったのは、米ソ冷戦が終了した1990年代以降のことである。
国連の役割
国連における民主主義の議論を概観すると、国連の役割の2面性が読み取れる。第1は、国際的な規範設定のアプローチである。多様な加盟国で構成される国連で、民主主義のように政治体制に係る分野での国際的規範作りは容易ではない。自国の政治体制の変革につながる動きには抵抗する国が多数のため、自由主義的政治秩序を信奉する国との対立を惹起しがちである。両者の違いは、ソ連崩壊直後や強権政治が劣勢であった時期には先鋭化しなかったが、強権政治の勢力が強まると対立が激化する傾向がある。
第2は、民主主義を構成する要素に注目して、民主的統治の促進を目指すアプローチである。政治的選択の自由、人権、法の支配、説明責任(独立した司法、言論)の強化、選挙監視、組織・人材の能力育成の支援を通じて、民主主義の促進をめざす努力である。このアプローチが現実的で成果に結びやすいが、内政不干渉など国連憲章の原則に従い、各国からの要請ないし総会・理事会の決定が国連の関与する前提となる。
それでは、段階的に見てみよう。
民主主義 (Democracy)と民主化支援 (Democratization) 1989年―
米ソ冷戦終了後、地域紛争解決の機運が高まり、国連の政治的役割が活性化し、停戦や選挙監視などを通じて新たな民主的国家の建設に貢献する事例が増えた。ナミビア(1989)、カンボジア(1993)、エルサルバドル(1994)、モザンビーク(1994)などPKOの一環として行われた活動が続いた。1989年から5年間で60か国以上から選挙実施、憲法制定、司法や警察の改革、法の支配など民主化支援の要請が国連に寄せられた。国連総会で、「民主的国家の促進・強化のための国連システムの支援」が議論され、国連事務局に選挙支援要請の窓口及び選挙支援部の設置が決まり、支援が強化された。自由公正な選挙を通じて世界の民主化のために、普遍・中立の立場から国連が果たした貢献は高く評価されている。
この状況を踏まえて、ブトロス・ガリ事務総長は、『平和の課題』(1992年)、『開発の課題』(1995年)に続く3部作として、『民主主義の課題』(Agenda for Democracy)を出版しようとしたが、一部加盟国からの反発を受けて、『民主化の課題』(Agenda for Democratization)とタイトルを変更して出版した(1996年)。『民主化の課題』は、自由公平な選挙とともに民主主義の政治文化の醸成、民主的慣行を支える機構の発展が不可欠である、市民の積極的な政治参加が確保されない限り持続的な発展は成功しない等の重要な指摘を多く含んでおり、民主主義を国際的規範にしたいとの野心的なイニシアチブであった。しかし、民主主義よりまず開発との途上国の意見が強く、民意をよりよく反映するプロセスという意味で、「民主化」という無難な表現にトーンダウンせざるを得なかった。事務総長の再選を果たせず、同報告書の出版直後に任期を終えることになった。
第2期 民主主義の促進 (democracy promotion) 2000年―
2000年国連総会の採択したミレニアム宣言は、国連の合意文書として初めて、「人権、民主主義および良い統治」のセクションを設けた。「民主主義を推進し、法の支配、発展の権利を含む全ての人権、自由の尊重を強化するため、いかなる努力も惜しまない。」として、「民主主義及び人権の尊重の原則と実践を実施する国の能力を強化し、全ての国で全ての市民の真正な参加を可能にする、包括的な政治プロセスのために協力して取り組むことを決意する」旨謳った。しかし、同時に採択されたミレニアム開発目標(MDGs)の中で具体的行動は設定されておらず、単なる宣言にとどまった。
国連サミットの成果文書
ミレニアム宣言の趣旨を具体的行動につなげたのは、2005年の国連サミットの成果文書で、「民主主義の促進」が合意され、国連民主主義基金が設立されたことである。成果文書は、民主主義を普遍的な価値と確認しつつも、リベラルな民主主義が唯一のモデルであることを否定し、国家主権を強調する折衷的な内容である。
世界の民主化を支援し、民主的統治を促進するため、各国からの自発的拠出で設立された(2005年)。ジェンダー平等、政治対話、自由公正な選挙、法の支配、若者の参加、メディア・報道の自由などの分野で活動する世界の市民社会組織からの申請の中から、諮問委員会の監督の下、事務局が審査して、資金援助を決定する。民主主義基金は、小規模ではあるが政治分野の活動に資金援助が得られるため、市民社会組織にとっては貴重な存在である。米国が毎年最大の拠出国で、インド、スエーデン、ドイツの拠出が多い。
第3期 民主主義の保護 (democracy protection) と包括的な社会の促進 2015年―
近年、強権政治や大衆迎合政治(populism)の拡大に伴い、「民主主義が開発の前提であり、開発が進めば民主主義が定着する」との立場が挑戦を受けている。例えば、国連が関与して確立したカンボジアの民主主義の慣行が、長年のフセイン政権下でいかに後退しているか、当時現場で汗をかいた国連及び日本の関係者にとって深刻に受け止められている。
世界的な民主主義の後退は、国連の活動にも影を落としている。国連総会は、「定期的かつ真正な選挙と民主化の促進」のため国連に支援の継続を求める決議を2018年も従来通り採択したが、政治的関心の低下、資金不足のため選挙支援活動もかってより低調になっている。民主主義基金も、米トランプ政権の関心低下もあり、資金規模も初期から半減し、要請の2%程度しか助成できない状況で、一時の活気は失われている。民主主義の支持国としては、今までの民主化の成果が後退しないよう保護に重心を置かざるを得ない状況である。
その意味で、「民主主義」の推進を前面に押し立てたイニシアチブは、イデオロギーの対立を招きかねず生産的ではない。むしろ、民主主義については過去の成果文書の内容を確認するにとどめ、別の普遍的価値・目標の設定が有効ではないか。国連の加盟国による交渉を経て、すべての国の指導者が合意したアジェンダ2030がそのヒントを提供している。2030年までに「誰も取り残されない社会」を目指すアジェンダ2030は法的拘束力を持つ文書ではないが、ミレニアム開発目標のように単なる宣言にとどめず、具体的なターゲット、指標を設定し、国連が各国の実施状況をモニターできることになったので、国際的な行動規範になったといえる。
アジェンダ2030では、「司法への平等なアクセスを提供し、人権の尊重、効果的な法の支配及び全てのレベルでの良い統治、透明、効果的かつ責任ある制度に基礎をおいた平和で、公正かつ、包摂的な社会を構築する必要性を認める」と、民主主義の表現は使用されず表現としては後退している。しかし、この目標を具体化したSDGs目標16(平和で安全な包摂的な社会)のターゲット(子供の虐待・暴力、人身売買、司法アクセス、汚職・賄賂、公的機関の包摂度、メデイアの失踪、拷問、人権法違反など)で具体的な前進ができれば、民主的慣行の強化に繋がる。日本のようにSDGsの実現を重視する国は、懸念国との対話を通じて、改善を求め、SDGs目標をできる限り達成できるよう支援を行うことで、民主主義を保護し、後退させないようにすることは可能である。
民主主義は直線では発展しないことを今更ながら思い知らされる。しかし、人類の歴史は、人間が選択の自由を拡大してきた歴史でもある。この歴史を後戻りさせないのは一人一人の責任である。