エッセイ

新型コロナウイルス危機で民主主義は後退するのか?

民主主義より強権政治の方が新型コロナウイルス感染拡大に効果的な対応が出来るとの主張がある。しかし、どちらが国民から信頼され、「良い統治」のための次の要件を満たすかといえば、民主主義の優位性は明らかである。

① 初動と緊急事態への迅速で効果的な対応
② 科学と医療専門家の多様な知見の徹底的な重視
③ 完全かつ迅速な最新情報の公開と透明性
④ 国民の不安に対する共感に基づく、国民目線からの丁寧な説明責任

中国が比較的短期間に新型コロナウイルスの国内での感染を抑えたのに比べて、西欧諸国の多くが猛威を振う新型ウイルスの感染拡大を終結できない状況を比較して、熟議を重んじる民主主義よりも強権政治の方が迅速で効果的な対応が出来るとの主張がでている。このため、近年「民主主義の後退」が論争を呼んで来たなかで、新型ウイルス危機が民主主義の未来に更に大きな影を差し掛かけている。そこで、国内政治に与える影響を考えてみたい。

まず、第1に、強権政治の監視社会の方が、効率的にウイルスの拡散を制圧できる、民主主義のもとではプライバシーの制限、個人行動の監視に限界があるので強力な措置は実施しにくいとの主張がある。確かに、中国は新型コロナウイルスの発生を1月下旬に公的に認めて以降、厳重な都市封鎖を行い、政府の強権で医療従事者、資機材を集結し、緊急医療施設を拡大し、抑え込みに当面成功した。その例にならい、従来から強権政治をとるハンガリー、カンボジアは緊急事態の関連法をいち早く採択し、今まで以上に私権を制限し、メデイア規制を強化した。その他の強権国家でも、新型ウイルス関連のメデイア規制、外出の厳しい取り締まり、個人の行動の監視強化など人権と自由を制限する例が多く見られる。しかし、これらの強権政治の下での対応の方が、感染者・死者数の拡大防止に効果的な成果を出しているかまだ実証されていない。

他方で、台湾や韓国は、過去のSARSなど感染症対応の教訓に学び、広範な検査・隔離、防疫・緊急医療体制の整備、マスク等の増産・公平な配布などの初動措置をとることによって効果的に拡散を防いでいる。その他の民主主義国でも、緊急事態として国民の行動の自由を制限しつつも徹底した情報公開を通じて、国民への説明責任を果たしつつ成果をあげているドイツやニュージーランドなどの例もあるので、必ずしも強権政治の方が迅速で効果的な措置がとれるとは言い切れない。そもそも、2019年12月末から1月初めの段階で、中国政府指導部が李文亮医師などの警告に真摯に耳を傾け、新型ウイルスの情報を隠蔽せずに初動していれば、世界にこれほど拡散しなかったと指摘されている。政権にとって不利な情報は隠蔽・非公開としたままにできることは、特に人の命にかかわる問題では強権政治の大きな欠陥といえる。

それでは、民主主義では迅速で効果的な措置がとれないであろうか。
民主主義の要諦は、国民主権、個人の権利と自由の尊重、法の支配、透明性と説明責任である。新型コロナウイルス感染の蔓延を防ぐという緊急事態において、移動・集会の自由、営業の自由、医療関連施設などの私権を制限することが、民主主義の下で認められるのは、科学的根拠に基づき、目的達成のために必要最小限の内容及び最短期間に限られる例外的な措置であると国民を代表する国会が判断し、国民が納得する場合であろう。国民の生命を脅かす緊急事態における私権の制限は、国際人権規約第4条でも認められているが、日本では戦前の軍国主義の反省から国民の私権制限に対する抵抗が強く、基本的人権の尊重を国是とする憲法では、「公共の福祉」のための私権の制約を他国以上に厳しく限定している。

西欧諸国の多くや途上国は、初期の警戒と対応が手ぬるく、感染を広げてしまったことは確かである。もっと早い段階から、人の移動制限、接触距離の確保、手の消毒、マスク使用などを励行していれば、感染の拡大の進度を遅らせ、健康を守ることも可能であったであろう。民主主義国で拡散防止に成果をあげつつあるのは、情報の公開性・説明、政府に対する信頼感が強い国である。感染や被害者が拡大したのは政治体制の違いが主因とは言えない。政治指導者による丁寧な説明と情報提供により、国民の間に危機意識と連帯感が共有されれば、厳しい監視体制をとらなくても民主主義の下で国民の理解と協力をえて迅速で効果的な対応が可能である。

第3に、新型ウイルス危機後の国内政治はどう変化するであろうか。
国境や都市封鎖、国民の移動・営業などの自由と私権の制限とともに、検査や感染者の治療などは国家・公権力の総力を挙げなければできない。そのため緊急事態においては「国家の復権」ともいうべき現象が生まれる。一旦国家がこのような強力な権限を保持すると、特に強権政治では、緊急事態の措置が平時化され、新しい基準になる危険があるが、これを如何に回避するかが極めて重要である。民主主義の下では日本の特別措置法が2年(ないし感染の蔓延が収まるまで)の時限立法であるように、感染症に対する緊急事態が去れば、個人の自由や権利の制限は直ちに解除される。民主主義のもとでは、私権の制限は一時的なものに終わることが制度として担保されているところに強権政治との大きな違いがある。とはいえ、真に一時的な措置に終結させるためには、メディアを含む市民社会の不断の監視が不可欠である。

新型コロナウイルス危機を通じて、人は自分の安全だけを考えていては自分の安全は守れないことに気づき、すべての人が同じボートに乗り合わせていることを痛感している。このような地域社会の連帯意識の高まりが、一国内にとどまり、一国中心主義、排外主義を助長することのないよう警戒する必要がある。同時に、この危機を、自己責任論に基づく「小さな政府」から「国民一人一人の安全保障に責任を持つ政府」に変革して、感染症対策を含む医療、教育への投資拡大に国のかじ取りを転換する好機と捉えることもできよう。

新型コロナウイルス危機にあたって「政治指導者の統治能力と指導力」の質の違いが問われているといえる。各国の対応から「効果的な良い統治」の要件として次の4点があげられる。

① 初動と緊急事態への迅速で効果的な対応
② 科学と医療専門家の多様な知見の徹底的な重視
③ 完全かつ迅速な最新情報の公開と透明性
④ 国民の不安に対する共感に基づく、子ども女性を含めた国民目線からの丁寧な説明責任

どちらの政治体制が、より多くこれらの要件を満たし、国民から信頼され、脆弱な人に焦点をあてた「誰も取り残されない対応」が可能かといえば、民主主義の優位性は明らかである。

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