エッセイ

権威主義国の人道支援:ロシアの場合

ロシアは、コロナ感染拡大に苦しむ国々に対して人道支援を実施している。それは、軍を動員した迅速な支援であり、しかも「敵陣営」であるNATO/EU加盟国(アメリカやイタリア)も支援しているという点において特異である。尤も、その質には疑念が呈されているし、国内で異論が出るに及んで、その持続可能性はなお不透明である。

「ポスト・コロナの世界」では「民主主義諸国と権威主義諸国の体制間競争」が激化すると予測する声が日増しに有力になっている。そうしたなか、体制間競争の道具として俄かに注目されているのが人道援助である。国際援助が大国間競争の道具となることは別段珍しいことではなく、冷戦期には米ソ両陣営はいわゆる「第三世界」に対して援助競争を繰り広げたし、最近では中国が「一帯一路」構想のもと、インフラ整備を目的とした多額の援助を行って世界の耳目を集めている。しかし、コロナ危機下に権威主義国によって実施されている人道援助は、やや異なった様相を呈している。中国の人道援助については既に多くの論考があるので、ここでは、あまり注目されていないロシアによる人道援助について考えてみたい。

ロシアは、旧ソ連諸国のみならず、EU加盟申請国(セルビア)やNATO諸国(イタリア、アメリカ)にまで迅速な人道援助を実施している。アメリカに対しては、3月31日、米露大統領会談での合意に基づいて医療機器や防護用品などを供給することを決定し、翌日には支援物資を満載した軍の大型輸送機がアメリカに向けて離陸した。イタリアセルビアに対しても、それぞれ両国の首脳会談後、軍の輸送機が大量の支援物資と医療チームを空輸した。

コロナ禍に対するロシアの人道援助は、以下の2点において、過去に行われた人道援助とは異なっている。第一に、ロシアが支援の迅速性において、民主主義諸国を完全に出し抜いたことである。いうまでもなく、人道援助、特に疫病対策支援は文字通り一刻を争うから、迅速かつ大量の支援がモノをいう。この点で、これまで幾多の危機対応でリーダーシップを発揮してきた欧米民主主義諸国は完全に後れを取り、先んじたのは権威主義体制陣営のロシア(と中国)であった。ロシアは、生物化学兵器戦部隊の要員を、物資と共に航空宇宙軍の大型輸送機で大量に送り込むことに成功した。イタリアに派遣されたロシア軍の輸送機やトラックには、ハートマーク型のロシア・イタリア両国の国旗に「ロシアより愛をこめて」とロシア語・イタリア語・英語というメッセージがあしらわれたロゴがつけられており、用意の周到さを見せつけた。

第二に、ロシアの支援は、いわば「敵陣営」であるEU・NATO諸国(アメリカ、イタリア)に対して行われた点でも特異であった。ロシアのメディアは、「NATO諸国にはイタリア支援の動きは見られない。欧州が新型コロナウイルスに侵されているというのに、NATOはどこに行ったのか?」と揶揄したが、こうしたロシアの動きを可能にしたのは、「敵陣営」の結束の乱れだった。ロシアがクリミア半島に侵攻して国際問題の解決に武力行使も辞さない姿勢を見せつけて以来、EUやNATOはロシアに対する「強靭性」強化を目指してきたが、コロナ危機で図らずも結束の脆弱さが露呈することとなった。たとえばイタリア政府は今年2月からEU諸国に対して医療物資の提供を求めてきたが、どの国も応じず、逆にマスク等の物資の囲い込み(輸出禁止や国家管理制度の導入等)を図った。また、EUは域外への医療物資の輸出制限を発動し、これについてセルビア(加盟交渉中の為にEU未加盟)のブーチッチ大統領は「欧州の連帯などおとぎ話だった」 と怒りを露わにした。さらに、世界最多の感染者を抱える米国は、高性能マスクなどの「買い占め」に走っているとされる。欧州メディアによると、アメリカの業者が、中国からフランスに輸出される予定だったマスクについて3倍の買取価格を提示して発送先をアメリカに変えさせたという。これについては、フランスの外交官が「この『ハイジャック』にアメリカ政府が同意していないとは信じがたい」と批判する騒ぎとなった

こうした欧米の結束の乱れは、民主主義体制の弱点に起因するものであった。新型コロナウイルスの世界的拡大により、各国政府は感染封じ込めの「共通テスト」を受けることを強いられているが、情報統制が容易な権威主義国の政府に比べて、民主主義国の政府は国内感染状況の悪化や他国の「好成績」などの不都合な情報を隠すことが出来ず、効果的な政策を求めて苛立つ国民の声に迅速に対応することを求められる。国内でマスクが不足すれば、ドイツのように禁輸措置を取ることも、アメリカのように同盟国から「札びらを切って奪って」くることも、国民の不安に応えて責任を果たすことを求められる民主主義国の指導者にとっては、少なくとも短期的には合理的行動となるのである。

尤も、ロシアの人道支援にも問題がないわけではない。まず、その質について疑問が呈されている。例えばイタリアでは、ロシア支援物資の8割が使い物にならなかったと同国の日刊紙ラ・スタンパが批判し、これにロシア外務省の報道官や在イタリアのロシア大使館が抗議する事態となった。さらに、皮肉なことに、ロシア自身も、国内にわずかに残る民主的要素によって、人道支援を行う手足を縛られることになるかもしれない。中国と同様に権威主義国に分類されるロシアではあるが、一党独裁の中国とは異なり、ロシアではプーチン政権に批判的な野党や活動家、メディアも存在する。クリミア侵攻に伴う西側民主主義諸国による対ロシア経済制裁や石油価格の低下等によってロシア経済は低迷しており、政権への国民の不満は高まりつつある。世論調査結果によれば、プーチン大統領が現在の任期の2024年以降も政権を担うことについて、2017年8月には国民の67%が賛成していたが(反対は18%)、今年3月には賛成は46%にまで減少し、逆に反対は40%に上昇した。プーチン大統領は、自身の5選に道を開く憲法改正案についての国民投票を行う予定としている関係で、世論動向に対して敏感になっている。そうしたなか、反体制活動家のナヴァーリヌイ氏が、「ロシア国内では(物資不足のために)医師がガーゼから包帯を縫うことを余儀なくされているのに、政府は外国を支援している」として、イタリアでの人道援助を批判したのである。4月に入ってから国内での新型コロナウイルスの感染拡大が一気に加速していることに危機感を抱いているプーチン政権は、国民の不興を買いかねない海外での人道支援を躊躇するようになるかもしれない。

こうしてみると、最も権威主義体制が強固な中国が最も人道援助を迅速かつ大量・持続的に実施できるという何とも皮肉なことになりそうである。そうならないよう、欧米をはじめとする民主主義諸国は、初動での遅れを取り戻し、感染爆発が先進国以上に悲惨な結果をもたらすと予想されている途上国に対する人道支援について、結束して対応し、面目を回復しなくてはならないだろう。

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