エッセイ

公衆衛生と法の支配:双子の危機(和文翻訳)

[無断転載不可]

今般のCOVID-19パンデミックは、多くの国でグッド・ガバナンスの重要原則が損なわれるという数年来続いている世界的な法の支配の危機の最中に発生した。公衆衛生と法の支配という双子の危機が、このパンデミックを特に危険なものにしている。このパンデミックによって法の支配がさらに圧迫され、時を追うごとにますます侵食される恐れがあるからだ。同時に、法の支配の格差は、COVID-19の危機を悪化させ、私たちが効果的に対応する能力を損なう危険性がある。


法の支配の定義と測定

法の支配とは、政府と民間アクターの説明責任、基本的人権を守る公正な法律、開かれた政府、そして利用しやすい司法アクセスを実現するための、法律、制度、規範、地域社会のコミットメントからなる永続的なシステムである。 強固な法の支配に基づく社会では、自由が保障されと公共の安全(公衆衛生を含む)が約束され、繁栄も促進される、効果的で透明性があり説明責任に基づく制度が市民に保障されている。法の支配は、この制度への信頼を醸成するとともに市民間の社会契約を支えるものであり、いずれも、集合的なアプローチが社会的地位によらず誰にとって脅威となる疾病を阻止し制御する唯一の方法となるCOVID-19パンデミックのような公衆衛生の危機を解決するためには不可欠なものである。データは、法の支配と公衆衛生の間に正の相関関係があることを示唆しており、法の支配が優れている国では、妊産婦と乳児の死亡率が低く、平均寿命が長く、慢性疾患の発症率が低い

残念なことに、パンデミックへの効果的な対応にむけて、強力な法の支配が必要とされている今、これらの重要なグッド・ガバナンスの規範が世界中で悪化している。2020 World Justice Project (WJP) Rule of Law Index®は、3年連続で、法の支配のスコアが改善するどころか悪化している国が増加していると報告している。 この傾向は、確立された民主主義国も自由度の低い国も含め、世界中全ての地域で見られる。持続的な低下傾向は、「政府権限の制約」、「基本的人権」、「反汚職の保証」の3つの領域を示す指数係数において特に顕著であり、これらは緊急時に特に侵食される脆弱性をはらむ分野である。

パンデミックが法の支配に与える影響

COVID-19パンデミックは、前述の3つの法の支配の領域のそれぞれにおいて、負の傾向を加速させる危険性がある。この世界的な公衆衛生の危機においては、政府による迅速な諸機関への閉鎖命令や市民の移動制限、医療品供給のための資源動員、生活の維持と経済救済のための多額の資金拠出が必要に迫られる。これらの措置は命を救う。しかし、このような政府の非常時の権限は、制限されなかったり乱用されると、民主的な抑制と均衡が損なわれ、基本的人権が侵害され、不正行為や汚職を引き起こす可能性がある。以下に概説するように、多くの法域において、パンデミックへの対応は、法の支配がそのような負の方向に展開するという特徴を示している。

緊急事態権限の乱用

COVID-19のような致命的なパンデミックにおいては、すべての市民、特に最も脆弱な人々を保護するための強力な対策が必要であることは言うまでもない。国際法は、基本的人権への制限を含め、そうした強力な措置を想定し認めている。しかし同時に、国際法は、これらの権限に対して、必要性があること、比例原則に従っていること、差別的ではないこと、という制限を課しており、それらの制限が尊重されない場合は、緊急事態権限が法の支配を損なうリスクがあるとしている。

COVID-19が発生する以前から、世界中の政府指導者たちは、裁判官、弁護士、ジャーナリストを含む政敵を弱体化させ、攻撃するための手段として、非常事態宣言を大いに利用してきた。 パンデミックは、権威主義的な傾向を持つ指導者たちが、政治的利益のために緊急事態権限を乱用する新たな機会となっている。ハンガリーのビクトール・オルバン首相が、この代表的な例だろう。2020年3月23日、オルバン首相は連立与党が支配するハンガリー議会の承認をうけて、事実上自由に政府をコントロールすることができる無制限の緊急事態権限を手にした。 これには、選挙や国民投票の中止、感染症管理を妨げる虚偽や歪曲された事実の公表・出版を犯罪化する権限、連立与党が管理する憲法裁判所以外のすべての裁判所を閉鎖する権限などが含まれている。この記事を書いている時点で、国際非営利法センター(International Center for Not-for-Profit Law)と欧州非営利法センター(European Center for Not-for-Profit Law)がまとめた「COVID-19市民の自由の追跡調査(COVID-19 Civic Freedom Tracker)」によると、84カ国がCOVID-19危機への対応として何らかの形の緊急事態宣言を採択している

政府が新たな権力を行使することで、伝統的・制度的なチェック機能の多くが今般の危機によって妨げられるようになった。例えば、パンデミックは立法府や司法府に深刻な影響を与えている。これらの機関は、危機における第一線の対応機関として、また行政府の権限濫用に対する防壁として、重要な役割を負うが、公衆衛生上の懸念から、緊急性の高い業務以外のすべての業務について門戸が閉ざされてしまった。さらに、緊急事態宣言や法律の中には、議会が承認や監督をする余地がないものもある。例えばインドでは、モディ首相の政府が、議会の承認なく国家災害管理法(National Disaster Management Act)を発動し、パンデミックへの対応のすべてを政府に一元化した。同様に、インドの裁判所は「極めて緊急」な問題のみを審理しており、一部で保釈の問題が審理から除外されるなど、同国の憲法上、緊急時でも制限が認められていない個人の自由が脅かされている

攻撃を受ける市民社会とメディア

強固な法の支配に基づく社会では、政府の各部門だけでなく、市民やジャーナリストが表現、意見、参加、結社の基本的な権利を行使することで、行政府の権力を抑制することが必要とされる。残念ながら何十もの研究結果が示すように、市民社会組織とメディアがこの重要な役割を果たすための政治的空間は縮小し続けている

今回のパンデミックは、表現や結社の自由の余地をさらに閉ざすような、直接的な影響をいくつかもたらしている。チリ、コロンビア、香港、アルジェリアなどで市民の抗議活動が活発化していたのと時を同じくして、この感染症を封じ込めるための広範囲にわたる封鎖が課せられ、市民を路上から追いやった。信頼性の高い報道への需要が急増する一方で、最前線の病院や診療所の現場から報道するジャーナリストらは、このウイルスに感染するという新たなリスクに直面しているのである。

優れた公衆衛生の実践には、ウイルスがどのように、誰に、どの程度の早さで拡散したかを追跡することが求められる。携帯電話は、感染経路の追跡に極めて有用なツールだが、プライバシーの権利を侵害するツールにもなりうるため、とりわけ、反体制派の人々にとっては脅威となる。中国、ロシア、インドなどいくつかの国々では、当局が位置情報追跡アプリ、顔認識機能付きCCTVカメラ、携帯電話データ、ドローン、クレジットカードの記録などのデータを組み合わせることにより、あるロシアの野党が言い表したように、パンデミックが治まっても終わることのない「サイバー強制収容所」を作り出している

また、いくつかの政府は、批判者を黙らせる口実として、この危機を悪用している。危機に対する政府の対応を批判した野党指導者が逮捕されたり、刑務所に送られたりしており、トルコのように、釈放される者もいる中で、野党指導者だけがウイルスに侵された刑務所に入れられたままになっているケースもある。 タイ、エジプト、ヨルダンでは、ウイルスに関する誤った情報の拡散を犯罪化し、政府の不手際についての報告を検閲するという新しい緊急法や政令が登場しており、情報操作や悪用のリスクが懸念される。イラン、イエメン、オマーン、ヨルダン、モロッコの当局は、コロナウイルスの拡散を緩和するために必要だと主張して、新聞の印刷と配布を停止している。 最悪の事例は、新しいコロナウイルスについて警鐘を鳴らした中国武漢市の医師、李文亮医師のような勇気ある内部告発者が、警察によって粛清され、命を絶たれたことである

汚職との闘いにおける大きな課題 

国連の汚職防止条約(UN Anti-Corruption Convention)、OECDの贈収賄防止条約(OECD Anti-bribery Convention)、そして無数の国や地域の執行メカニズムを含め、汚職と闘うための世界的な努力が20年以上にもわたって強化されてきたにもかかわらず、汚職はいまだに世界のあらゆる地域において、法の支配に対する根深い問題である。これは公衆衛生部門では特に深刻な問題であり、質と量の両面から医療に影響を与えている。

トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)は2019年の調査で、「多くの国々で深刻な構造的な問題がみられ、第一線の医療従事者による職務放棄、患者に対する贈答品や賄賂の強要、薬品の窃盗、その他さまざまな権力と地位の乱用が起きているが、何の処分にも課されないことが常となっている」と報告している。同団体は、この分野における汚職は年間5000億ドルのコストを生じさせ、ケアの質に劇的な影響を与えていると推定している。 128カ国の公衆衛生専門家を対象とした2019年のワールド・ジャスティス・プロジェクトの調査では、回答者らが「医療費に割り当てられた公的資金のうち、平均29%が意図された目標と別の目的に向けて違法に流用されている」と推算している

このような背景から、コロナウイルスは汚職問題の破滅的な事態、「究極の嵐」の様相を生じさせている。健康危機と経済的副作用の両方に対処するための大規模な資源動員が急がれる一方で、この危機の緊急性と社会的距離保持の必要性から、調達の監督と執行の努力が緩和されたり減少したりしているからである。 過去の健康危機や自然災害も、汚職の問題にさらされてきた。例えば米国では、ハリケーン・カトリーナ、リタ、ウィルマの後遺症で汚職が多数発生し、2011年までに1,439人以上が不正な慈善事業、政府や民間企業の給付金詐欺、個人情報の窃盗、政府との契約や調達の詐欺などの罪で起訴された。 エボラ出血熱危機の際、リベリア、シエラレオネ、ギニアでは、危機の発生前から汚職が横行していたために医療システムが弱体化しており、政府に対する信頼が低かったことから、ウイルスに関する公式の警告も弱体化され軽視された。パンデミックの間、公的な汚職は資金や物資の流用につながり、市民が移動制限を回避するために賄賂を使ったりしたため、封じ込め対策が脆弱化された

今回の危機では、多くの国のメディアや監視者の報告書が、価格の強要・便乗値上げや、コネのある企業が不適切な調達プロセスにより有利な契約を結ぶような事例を明らかにしている。コロンビアでは、監察長官が14件のコロナウイルス関連の調査を開始したと報告されており、そのほとんどが緊急用物資の過大な価格設定に関するものである。 イタリアでは、ハイテク温室を専門とする農業会社が3,200万枚のフェイスマスクを供給する公契約を落札したことが発覚し、担当機関は契約を取り消して調査を開始した

このように、市民、企業、政府が重要な医薬品の調達に奔走する中、偽造品や不正取引のリスクが高まっている。2020年3月に発表されたユーロポールの公報は、すでに調査が行われている数多くの事例を引用しながら、危機に関連した犯罪的利益追求、詐欺、サイバー犯罪、マネーロンダリングに対する注意を喚起している。経済危機への対応を目的とした資金も汚職に晒されやすい。米労働省監察官事務所は、州機関が3000万人以上からの請求を処理するのに苦労していることに乗じた失業保険給付金の分配における不正行為の危険性を警告している

コロナウイルスのパンデミックは、汚職撲滅に向けた世界的な取り組みに深刻な課題を突きつけており、過去30年の間に発展してきた汚職防止法や対策ツールが、今まさに試されていると言える。政策立案者は、過去の危機から得た教訓をもとに、緊急の対策・措置をとることと、その対策・措置が意図する受益者に確実に役立つように保障することとの間で、適切なバランスをとることが求められる。

パンデミックに対する法の支配

COVID-19の危機は、すでに悪化している世界の法の支配の状況をさらに悪化させる危険性がある。これは法の支配を脅かすだけでなく、ウイルス封じ込めに向けた努力にとっても悪い兆候である。私たちが直面しているような世界的な公衆衛生の問題への対応を成功させるためには、正確な情報と方向性を適時に示し、不正や汚職なく、資源を効率的かつ効果的に動員することで、市民の信頼とコンプライアンスを獲得できる政府が必要である。法の支配は、このような対応のための基盤として、制度的な抑制と均衡及び堅固な市民社会と自由なメディアの保障を通じて、政府の責任を明確にするものである。法の支配がなければ、重要な時間と資源が浪費され、ウイルス封じ込めのために必要な社会全体としての対応を構築する能力が損なわれる危険がある。

以上、COVID-19パンデミック封じ込めにむけた初期の努力における憂慮すべき兆候を確認してきたが、法の支配の取組みを強化する望みはまだある。そのためには、緊急事態のただなかにあっても、法の支配を維持するための努力を一層強化しなくてはならない。緊急事態法は、国際基準を遵守し、適用範囲と期間が限定されたものでなくてはならない。議会、オンブズパースン、監査機関、裁判所などの制度的チェックが継続的に機能するためにも、技術と技術革新を活用しなくてはならない。必要としている人々に重要な資源が確実に届くようにするためには、経済協力開発機構(OECD)やオープン・ガバメント・パートナーシップ(Open Government Partnership)が提唱しているような誠実さと開かれた政府の原則が採られるべきである。そして、すべての人に対する説明責任を果たすため、市民社会と自由なメディアの活動が擁護され、支持されなければならない。私たち皆が、果たすべき役割と結果に対する責任を負う。私たちの生命と自由は、このバランスの上に成り立っている。

(近藤慈子訳、矢吹公敏監訳)

エリザベス・”ベッツィー”・アンダーセン (Elizabeth Andersen)
ワールド・ジャスティス・プロジェクト(World Justice Project, WJP)事務局長

調査、戦略会合、および啓蒙活動家・改革者らの国際的ネットワークの支援を通じて、グローバルな法の支配を推進するWJP事務局長。国際法の分野で20年以上の経験を有し、アメリカ法曹協会法の支配イニシアティブ ディレクター、同イニシアティブ欧州ユーラシア部門ディレクター、アメリカ国際法学会事務局長、ヒューマン・ライツ・ウオッチ欧州中央アジア部門事務局長を歴任。

テッド・ピッコーネ (Ted Piccone)
ワールド・ジャスティス・プロジェクト  チーフ・エンゲージメント・オフィサー

法の支配を推進するWJPにおいて、戦略的パートナーシップや会合、組織的アドボカシー、世界各地における現地主導のイニシアティブなどの取り組みを担当・指揮。国際関係、国際政策、国際法の分野において30年以上の経験を有し、前職ではブルッキングス研究所においてラテンアメリカ地域の国際秩序と戦略を専門とするシニア・フェローを務め、過去には、米国務省、国家安全保障会議(NSC)、国防総省の上級外交政策アドバイザーや、民主連携プロジェクト(Democracy Coalition Project)事務局長を歴任。

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