エッセイ

アジアの民主主義の新たな潮流を探る (和文翻訳)

アジアの民主主義の新たな潮流を探る

フィリピンの首都マニラから北へ約200キロメートルのところにあるバギオ市は、海抜1,471メートル、冷温気候の高原である。フィリピンのような熱帯の国にあっては、その涼しい気候が際立っている都市だ。50年代初頭、低地の夏の気温を逃れるため毎年夏の間この地域に政府機関が移転していたことから、バギオはサマーキャピタル(夏の首都)とも呼ばれるようになった。現在この移転は行われていないものの、バギオ市は歴史上独自の多文化的な発展を遂げており、市民が市の方向性の決定に強く関与する傾向があり、フィリピンの政治にとって今なお重要な場所となっている。

バギオ墓地の中心近くには、日本語で碑文が記されたコンクリートの碑塔がある[i]。1903年この地にやってきて埋葬された日本人をたたえたものだ。当時多くの日本人先駆者たちがケノン・ロードを建設するためチームを組んでやってきた。米国工兵隊のライマン・ケノン大佐の名前をとってケノン・ロードと命名されたその道路の建設は奇跡的な偉業であった。ケノン・ロードは、かつてスペインの占領下にあった非常に険しいコルディレラ山脈を切り開き建設され、道路からは山岳地帯の美しい高原を見渡すことができる。この象徴的な道路インフラは今も、この山岳都市とフィリピンのその他の地域をつなぐ大動脈である。しかし、新型コロナウイルス感染症の再流行の只中でこの文章を書いている現在、ケノン・ロードは34キロメートルにわたり閉鎖され、居住者の車以外すべての車両が通行できない。

2020年は通常とは全く異なる一年となった。この9か月間、私たちはみなロックダウンを経験し、仕事、日常生活、コミュニティー、そして国民生活は混乱を極めた。新型コロナウイルスの大流行により、道路は閉鎖され、私たちは大切な人を失い、友人の輪は引き裂かれ、政治的、経済的、社会的活動の多くが制限された。そしてより深刻なのは、コロナ禍により民主主義の脆弱性が露呈したことである。制度や民主的な基盤が強固な場所では、政策遂行は極限まで追い詰められたものの、コロナ禍による混乱は最終的には封じ込めることが可能であった。しかし制度や民主的な基盤が脆弱な場所では、コロナ禍による混乱が民主的な規範や慣行、安全網を破壊してしまった。

今年8月、コロナ禍の第一波が収束しようとしている時期に行ったJCIEの講演では、コロナ禍でフィリピンの民主主義が直面している政治的、社会的、経済的な課題について3つの話を紹介した。濫用の危険をはらんだ、時期的に適切とはいえない、あいまいな規定に基づく反テロ法の成立、同国で一番古い歴史があり最も国民に浸透している巨大メディアABSCBNの閉鎖、そして数十万人にも及ぶ海外労働者のフィリピンへの帰還が家庭にもたらした経済的困窮である。また、市民やレニー・ロブレドフィリピン副大統領のような民主主義の指導者たちが、コロナ禍にもかかわらず民主主義の発展、強化、深化のために尽力を続けていることについて3つの明るい話も紹介した。政府の更なる尽力を求めるために副大統領府と連携した市民や民間部門からの寄付やサービスの増加、ABSCBN放送局の放送免許更新を直接法案で認めさせることを目指す市民団体の発足、そして仕事を失ったジープニーの運転手農家の生活を支援する草の根レベルの地域経済イニシアチブの出現である。

このエッセイは、地域の民主主義を強化するために私たちが果たす役割を検討するため、この講演で話したことから始めることとする。執筆には予想以上に長い時間を要し、民主主義、そして日本とフィリピン、2か国の役割についての政策に関する記事として書き始めたものが、新型コロナウイルス感染症により直面した様々な状況の違いを改めて見直すエッセイへと発展した。過去10年間に出現し始めた民主主義の新たな潮流は、ニューノーマルの中で加速し、私たち、コミュニティー、そして国家に民主主義をどのように理解しているか再検討を促すこととなった。この流れに私たちはより注意を払う必要がある。

第1の潮流:民主主義のためのクロスオーバー

まず、自分の経歴に基づいて意見を述べる。私は、最近増えつつある、市民社会と政府の両方でリーダーシップを発揮するポジションに就いた経験のある人間の一人である。私たちのような人間は政権移行や国家指導者・官僚組織における要職が変わる際、およびその後に政府と「クロスオーバー(交差)」する。通常、私たちは伝統的な政党のメンバーではなく、主に自分たちの主義・主張を擁護するため政治的に関与することを決意した市民運動や市民社会の連合体の出身である。政府に加わることで、国家制度内に変化をもたらす上での課題を理解し、それに対処することで、我々の視点はさらに豊かになる。私たちの課題は、権力を持つ人々に説明責任を果たすよう促すこともあれば、権力を行使し、自分自身と組織が社会に対し説明責任を果たすこともあり、その都度変化する。時には、政府の権力を弱めて市民や市民社会の能力を強化するために、どのように権力を行使するかが課題となることもある。

民主主義への挑戦は、多岐に亘り、絶え間ない。様々な課題をひとつひとつ克服する能力は、各制度の強さによる。私のいう「各制度」とは、代議政治、公平な裁判所、責任ある行政機関など、民主的統治の公式な制度だけを指すものではなく、活動な市民や市民社会組織、自由な報道機関、責任ある民間部門なども含んでいる。コロナ禍は、これらの各制度の脆弱性を露呈することとなった。既得権益と権威主義的指導者は、自らの権力を強化すべく、これらの主要な制度の全てではなくとも、その多くを弱体化する措置を迅速に講じた。発令された行政府の執行命令と法案の多くは、その有用性と緊急性の名の下に、チェック&バランスのプロセスと説明責任の手段を欠いていた。市民社会、自由な報道機関、民間部門は、ロックダウンの中、あらゆる反論や批判に対する国の対応が強硬になっていく中でも、自身の役割を何とか継続しようとしたが、あまりものリソースが不足していた。

私が最近読んだ本にも同様の意見が述べられている。アセモグルとロビンソンの共著『国家はなぜ衰退するのか』に続く、同著者らの『狭い回廊』だ。『狭い回廊』の中で著者は、国家制度を強化するだけでなく、社会と、必要に応じて国家に足かせをかけることができる社会の能力を強化するために働く「政治家」のリーダーについて論じている。つまり、彼らが論じる民主主義の狭い回廊内に国家を留めることができるのは、強い国家と強い社会の間のバランスなのである。現代のクロスオーバー・リーダーにはこうした推進力がある。つまり、彼らは、統治にポジティブな変化を根付かせるべく官僚組織を強化するだけでなく、社会や民間組織と連携し、政権の座にある人々に説明責任を負わせるよう、彼らの能力を強化することにも取り組んでいるのである。クロスオーバーとは国家と社会から生まれるものであり、それゆえその両方を代表するものである。

アジアで強力な民主主義を築くには、国家と社会の両者の努力が必要である。特に東アジアでは、この地域の政治的な変化に伴い、クロスオーバーの数は増加している。社会運動から生まれた若い活動家たちは、公選職に立候補したり、新政権の要職を提示されたりする。日本の政治的な変遷を十分に理解していないので、クロスオーバー・リーダーの事例を紹介することはできないが、国家と社会の両者を強化するリーダーに関する日本の動向を知ることは非常に重要である。

第2の潮流:民主主義の中心となる新しいコミュニティー

私は政府から市民社会に戻った。現在、フィリピンの政策と政治討論の中心から200キロ以上離れた場所にいる。このロックダウンは、国家の表舞台や、国家に焦点をあてた議論や討論から引き離される機会となった。バギオに拠点があるということは、地域の実効的なリーダーシップが派閥中心の政治よりも重要で、国家政策が時には効率的なサービス提供の妨げとなることがあり、市民運動の脅威がしばしば国家レベルよりも明白に、直接的に、影響力を持って感じられる場所にいるということである。

バギオでは、地元の芸術家、職人、起業家たちが、貿易、観光、商業の混乱の影響をもろに受けている。しかし、彼らのコミュニティーは、革新的なプラットホームや新たな経済活動の形態を構築した。バーターは非常に活気のある盛んな経済的代替手段となり、各家庭はこれを用いてコメ、食料品、必需品を手に入れることができるようになった。私が加入したオンラインのバーターグループは、32,000人以上のメンバーを抱えるまでに急速に成長し、都市の経済的および公衆衛生上の制約の中で商品交換のためのプラットホームを提供し続けている。バーター市場は、根本的には、市民が市場を社会の当面のニーズに対応するという基本的な役割に戻す手段となり、そこでは価格と価値が共通の利益のための社会的な契約によって決まる。

コロナ禍によって町や地域がロックダウンされ、多くの道路が閉鎖されたため、バギオ周辺の自治体や町の高地農家は、得意先に売る手段がなくなった。収穫された野菜が処分、廃棄される写真をきっかけに、若い起業家たちは通常の取引所や中間業者を通さず首都の消費者を農家に直接つなぐオンラインプラットホームを構築した。共通のアイデンティティと目的を有するコミュニティーや市民の組織化された行動は最も強力なものである。市民行動は、集団的主体性が明確な場合にも最も効果的である。

これらの農業と消費者を結ぶ取組みは、バギオ市や隣接するベンゲット州に来た別の日本人たちから学んだ、地域密着型農業の概念を再活性化し、近代化するものだ。バギオ市にやってきた初期の日本の開拓者たちに続き、1960年代から1970年代にかけて日本青年海外協力隊(JOCV)がこの地を訪れ、農業専門家、技術専門家たちが今日の高地の作物産業に多くの革新をもたらした。初期の開拓者、その子孫、JOCVボランティアは、日本の町や都市、バギオ市周辺の町や自治体との間に築かれた姉妹都市の礎を築くことになる。これらの姉妹都市の多くは協同組合を強化する努力を行っている。現場では、地域密着型農業、協同組合主義、集団的主体性の民主的な慣行は、民主主義のような大きな概念を日常生活に感じさせる上で、依然として重要な種となっている。日本はすでに、民主主義のコミュニティーを構築するという点で、フィリピンに拠点を持っている。これらの拠点は、共通の民主的プロジェクトを強化するための大きな機会となっている。

私たちのコミュニティーは変化し続けている。私たちのアイデンティティは、若者、女性、国籍といった従来の人口統計的な集団内だけでなく、むしろ年齢、性別、地理的な場所、経済的地位が異なる生産者、消費者、起業家、革新者など、同じ価値観と利害を共有する人々の間で確立されている。このことは、地域レベルにおいて最も明白である。地域レベルでは各自の選択が自分たちの日常生活に影響を与え、それが国家レベル、世界レベルで民主主義に深く関与するきっかけとなる。

第3の潮流:異文化間の民主的対話

私は、19世紀初頭にフィリピンに来てケノン・ロードを建設した大工と親方の子孫にあたる日系4世である。初期にバギオに渡った日本人は勤勉な開拓者だった。松林のまちで彼らが遺した遺産について書かれた本がある。私の祖父シナイ・カリーノ・ハマダも、日本人農夫とボントック族の妻についての短い物語を残している。その物語『七夕の妻』は「フィリピン人が書いた最高の愛の物語」として称賛され、近年映画化されるとTo Farm映画祭で最優秀作品賞を受賞した。この物語は、理想化されたロマンチックなラブストーリーではない。その点がより興味深い。当時のフィリピンで異文化間の相違と農業の困難を乗り越えて生き延びることについて描いているのだ。この愛の物語を現代に置き換えると、日本で暮らす日本人と結婚したフィリピン人女性の異文化に対する挑戦についての物語になるだろう。

私が、バギオ、そこにある日系コミュニティー、『七夕の妻』について話すのは、このようなコミュニティー、地域、そして話にこそ、民主主義の壮大な物語の勝利や敗北が描かれているからである。私たちは、最近の米大統領選挙を含め、多くの国で分裂と二極化した憎悪が生まれるのを目の当たりにしてきた。フィリピンでも現在の大統領が本当に国民のために働いていると信じている人彼が国の制度や価値観を破壊しているのではないかと心から恐れている人との間に、同様の不信感と分裂が芽生えている。このような状況は、移民と地元民の間でも、貧困層と新興の中流階級との間でも見られる。

物語には実に強い力がある。私は、フェルディナンド・マルコスの戒厳令時代、バギオの小学校に通っていた。大好きだったテレビ番組の1つ、『超電磁マシーン ボルテスV』という名の日本のアニメシリーズが放送禁止になったことと、当時の独裁政権を結び付けて考えたことを鮮明に覚えている。かの独裁者は、暴力的すぎるという理由で、シリーズがもうすぐ最終話というところで放送禁止を命じたのだ。小学生だった私たちがクラスの皆で一緒に映画を観に映画館に行ったときのことを覚えている。そのオープニングソングが、正しいことをするために戦うよう、どれほど幼い自分の心を奮い立たせてくれたかを覚えている。そのテーマソングは、今なお抑圧的な政府に立ち向かい、正義のために武器を持ち、戦うことを呼び掛けているように聞こえる。私には独裁者がなぜこの番組をすぐに禁止したいと思ったかがわかる。しかし、『ボルテスV』がより訴えたかったのは、どうにもならないように思えるような相違を乗り越えること、戦いを通してではなく、他の文化を理解し、重要な選択をする立場において個人が取る選択や犠牲を通してこそ、平和を手に入れることができるというメッセージである。

『ボルテスV』は、フィリピン人の奥深くに何かを植えつけることに成功した日本の物語なのである。『ボルテスV』と『七夕の妻』が異文化関係の中で平和と愛について語っているのと同様に、日本とフィリピンで共有されている民主主義の価値観について、異文化間の対話を続けるべきである。

アジアの民主主義の新たな潮流

私たちは経験したことのない状況にあり、民主主義の向かう先は不透明だ。リーダーシップは、国家中心から社会制度を含むものに変化しなければならない。コミュニティーの形成は、年齢、性別、地理的な場所によるものから、共通の価値観によるものへと変化した。異文化間の対話は、二極化と不信の中でより重要になってきている。私は、これら3つの潮流が、アジアにおける民主主義の構築において日本とフィリピンが互いの役割を強化する機会と考えている。

新しい潮流は大方の流れに反するものである。熱帯の国の温暖な都市、取引所や中間業者に対する市民による交換のプラットホーム、フィリピンの意識に根付いた日本のアニメシリーズと異文化相違にふれた最も素晴らしいラブストーリー。民主主義は現在、様々な新しい潮流によって定義されている。私は国家の喧騒から遠く離れた山間の都市で、このような潮流に希望を感じ、共に民主主義を目指す姉妹関係にある日本に期待を寄せている。

[i]画像1:バギオ市の墓地の日本人地区にあるコンクリート製の碑塔。著者撮影

(JCIE監訳)

 

 

マクシーン・ターニャ・ハマダ Maxine Tanya Hamada
リーダーシップ・エンパワメント・民主主義研究所 民主主義戦略・パートナーシップ・フェロー (フィリピン)

ガバナンス戦略とイノベーションに取り組み、市民社会と公共サービスの両方で約 20年のリーダーシップの経験を有する。活動の分野は多岐に渡り、公的財政管理、市民社会の関与、安全保障部門の改革、ローカルガバナンス、先住民族の権利保護などに及ぶ。現在、リーダーシップ・エンパワーメント・民主主義研究所iLEAD)の編集委員会に所属し、世界民主主義運動(World Movement for Democracy)の国際運営委員会のメンバーを兼任。直近では、フィリピン政府の予算管理局次官補を務め、国家評価政策の立案、草の根計画予算プログラム、市民社会との関わりなどを支援。経営するコンサルタント会社は、地方、国内、および国際的なクライアントと協力して、ガバナンスの課題に対する革新的なソリューションを提供している。


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