新型コロナウイルス感染症と民主主義の未来

民主主義研究会メンバーによるエッセイ

各研究会メンバーが「新型コロナウイルスと民主主義の将来」というテーマで 、専門の立場からエッセイを書き下ろしました。

新型コロナウイルス危機で民主主義は後退するのか?

高須幸雄
国際連合事務総長特別代表(人間の安全保障担当)
民主主義の未来研究会 主査  

PDF

民主主義より強権政治の方が新型コロナウイルス感染拡大に効果的な対応が出来るとの主張がある。しかし、どちらが国民から信頼され、「良い統治」のための次の要件を満たすかといえば、民主主義の優位性は明らかである。

① 初動と緊急事態への迅速で効果的な対応
② 科学と医療専門家の多様な知見の徹底的な重視
③ 完全かつ迅速な最新情報の公開と透明性
④ 国民の不安に対する共感に基づく、国民目線からの丁寧な説明責任


 

 中国が比較的短期間に新型コロナウイルスの国内での感染を抑えたのに比べて、西欧諸国の多くが猛威を振う新型ウイルスの感染拡大を終結できない状況を比較して、熟議を重んじる民主主義よりも強権政治の方が迅速で効果的な対応が出来るとの主張がでている。このため、近年「民主主義の後退」が論争を呼んで来たなかで、新型ウイルス危機が民主主義の未来に更に大きな影を差し掛かけている。そこで、国内政治に与える影響を考えてみたい。

 まず、第1に、強権政治の監視社会の方が、効率的にウイルスの拡散を制圧できる、民主主義のもとではプライバシーの制限、個人行動の監視に限界があるので強力な措置は実施しにくいとの主張がある。確かに、中国は新型コロナウイルスの発生を1月下旬に公的に認めて以降、厳重な都市封鎖を行い、政府の強権で医療従事者、資機材を集結し、緊急医療施設を拡大し、抑え込みに当面成功した。その例にならい、従来から強権政治をとるハンガリー、カンボジアは緊急事態の関連法をいち早く採択し、今まで以上に私権を制限し、メデイア規制を強化した。その他の強権国家でも、新型ウイルス関連のメデイア規制、外出の厳しい取り締まり、個人の行動の監視強化など人権と自由を制限する例が多く見られる。しかし、これらの強権政治の下での対応の方が、感染者・死者数の拡大防止に効果的な成果を出しているかまだ実証されていない。

 他方で、台湾や韓国は、過去のSARSなど感染症対応の教訓に学び、広範な検査・隔離、防疫・緊急医療体制の整備、マスク等の増産・公平な配布などの初動措置をとることによって効果的に拡散を防いでいる。その他の民主主義国でも、緊急事態として国民の行動の自由を制限しつつも徹底した情報公開を通じて、国民への説明責任を果たしつつ成果をあげているドイツやニュージーランドなどの例もあるので、必ずしも強権政治の方が迅速で効果的な措置がとれるとは言い切れない。そもそも、2019年12月末から1月初めの段階で、中国政府指導部が李文亮医師などの警告に真摯に耳を傾け、新型ウイルスの情報を隠蔽せずに初動していれば、世界にこれほど拡散しなかったと指摘されている。政権にとって不利な情報は隠蔽・非公開としたままにできることは、特に人の命にかかわる問題では強権政治の大きな欠陥といえる。

 それでは、民主主義では迅速で効果的な措置がとれないであろうか。
民主主義の要諦は、国民主権、個人の権利と自由の尊重、法の支配、透明性と説明責任である。新型コロナウイルス感染の蔓延を防ぐという緊急事態において、移動・集会の自由、営業の自由、医療関連施設などの私権を制限することが、民主主義の下で認められるのは、科学的根拠に基づき、目的達成のために必要最小限の内容及び最短期間に限られる例外的な措置であると国民を代表する国会が判断し、国民が納得する場合であろう。国民の生命を脅かす緊急事態における私権の制限は、国際人権規約第4条でも認められているが、日本では戦前の軍国主義の反省から国民の私権制限に対する抵抗が強く、基本的人権の尊重を国是とする憲法では、「公共の福祉」のための私権の制約を他国以上に厳しく限定している。

 西欧諸国の多くや途上国は、初期の警戒と対応が手ぬるく、感染を広げてしまったことは確かである。もっと早い段階から、人の移動制限、接触距離の確保、手の消毒、マスク使用などを励行していれば、感染の拡大の進度を遅らせ、健康を守ることも可能であったであろう。民主主義国で拡散防止に成果をあげつつあるのは、情報の公開性・説明、政府に対する信頼感が強い国である。感染や被害者が拡大したのは政治体制の違いが主因とは言えない。政治指導者による丁寧な説明と情報提供により、国民の間に危機意識と連帯感が共有されれば、厳しい監視体制をとらなくても民主主義の下で国民の理解と協力をえて迅速で効果的な対応が可能である。

 第3に、新型ウイルス危機後の国内政治はどう変化するであろうか。
国境や都市封鎖、国民の移動・営業などの自由と私権の制限とともに、検査や感染者の治療などは国家・公権力の総力を挙げなければできない。そのため緊急事態においては「国家の復権」ともいうべき現象が生まれる。一旦国家がこのような強力な権限を保持すると、特に強権政治では、緊急事態の措置が平時化され、新しい基準になる危険があるが、これを如何に回避するかが極めて重要である。民主主義の下では日本の特別措置法が2年(ないし感染の蔓延が収まるまで)の時限立法であるように、感染症に対する緊急事態が去れば、個人の自由や権利の制限は直ちに解除される。民主主義のもとでは、私権の制限は一時的なものに終わることが制度として担保されているところに強権政治との大きな違いがある。とはいえ、真に一時的な措置に終結させるためには、メディアを含む市民社会の不断の監視が不可欠である。

 新型コロナウイルス危機を通じて、人は自分の安全だけを考えていては自分の安全は守れないことに気づき、すべての人が同じボートに乗り合わせていることを痛感している。このような地域社会の連帯意識の高まりが、一国内にとどまり、一国中心主義、排外主義を助長することのないよう警戒する必要がある。同時に、この危機を、自己責任論に基づく「小さな政府」から「国民一人一人の安全保障に責任を持つ政府」に変革して、感染症対策を含む医療、教育への投資拡大に国のかじ取りを転換する好機と捉えることもできよう。

 新型コロナウイルス危機にあたって「政治指導者の統治能力と指導力」の質の違いが問われているといえる。各国の対応から「効果的な良い統治」の要件として次の4点があげられる。


① 初動と緊急事態への迅速で効果的な対応
② 科学と医療専門家の多様な知見の徹底的な重視
③ 完全かつ迅速な最新情報の公開と透明性
④ 国民の不安に対する共感に基づく、子ども女性を含めた国民目線からの丁寧な説明責任

どちらの政治体制が、より多くこれらの要件を満たし、国民から信頼され、脆弱な人に焦点をあてた「誰も取り残されない対応」が可能かといえば、民主主義の優位性は明らかである。

新型コロナウイルス感染症と国際秩序

佐橋 亮
東京大学東洋文化研究所 准教授
民主主義の未来研究会 共同研究幹事

PDF

新型コロナウイルス感染症との長い戦いは、個人のライフスタイルや経済のあり方にとどまらず、国内政治、さらには国際秩序に様々な影響を与えていくことになる。それは、経済損失だけから生まれるのではない。失われた人命の重さが説得力となり、さらなるパンデミックが発生するかもしれないという恐怖、地政学対立が反映され遅々として進まない国際協調への不信は増幅していく。グローバル化 [i]、先進国協調とともにあった国際秩序のあり方は岐路にある。自由主義を推進してきた国際秩序の将来を、この小論では考えてみたい。[ii]


 これまでの国際秩序にとって、アメリカのリーダーシップ、またG-7にみられるような先進国間協調は重要な推進力だった。しかし、アメリカは有効なリーダーシップを発揮せず、EU各国もそれ以外の先進諸国も互いにそこまで協力をみせていない、現在の状況が権力の空白を作りつつあることは事実だ

 この点に関連して、中国がいち早く沈静化に成功したこと、各国への支援を展開していることをもって、「権威主義体制に国際秩序が牽引されることになる、自由主義と民主主義に基づく戦後国際秩序への脅威だ」と主張する言説が広まっている。しかし、このような言説は分析的には拙速であり、さらに問題なことに、別の政治目標に同期づけられている場合もある。

 まず分析として考えた場合、国際秩序において権威主義体制が秩序を牽引し始めているというにはかなり時期尚早だ。中国が賛美されるのは、その支援の早さと大きさであり、背景にあるハードパワー(経済力、軍事力などを指す)に過ぎない。もちろん、各国が自らの政治体制を全般的に見直すという動きには繋がっていない。新型コロナウイルス感染症を理由にリーダーが強権化を試みているハンガリーやイスラエルの事例は、国内事情によるものであり、中国に影響されたわけではない。そして中国のソフトパワー(言説が他者の行動に与える影響などを指す)も増しているとは思えない。 

 言説の背景には、アメリカ国内の議論が大きく、割り引いて考える必要がある。一方には、トランプ政権批判の文脈で、中国などの成功を主張するために、このような言説を行う向きがある。しかし、より目立つのは、対中強硬論との融合だ。過去2年間、首都ワシントンの連邦議員、研究機関や専門家は対中強硬論を強めてきた。保守系政治勢力は、新型コロナウイルスの発生を奇貨として、中国への強硬論に語勢を強めている。ウイルスの発生源をめぐるアメリカの一部報道(多くのはコラムニストの手による)や、権威主義による統治モデルがパンデミックで苦しむ世界に広がるという体制間競争を主張する言説は、この文脈を踏まえて読まれるべきだ。なお、それだけが原因ではないが、最新の世論調査では米国市民の間で中国に対する感情は悪化の傾向にある

 「ディスコース(言説)の戦争」は、アメリカ、中国、ロシアなどが中心となり、拡大している。恐怖と不自由に直面した人々は、ネット空間に情報ソースも自己表現のはけ口も見つけ出そうとする。正しさを争い、不正を糾弾するディスコースは、平素を遙かにこえる量で拡散されている。そこに偽情報や、特定の国家のやり方を賛美するような情報発信も大きく入り込んでいることは言うまでもない。アメリカと中国の政府関係者による舌戦は、記憶に新しいところだ。担い手には、国家アクターだけではなく、市民や、民間組織(中小メディア、政治団体等)も多く見受けられる。非民主主義社会より発せられる情報に注意を要することは言うまでもないが、同時に、トランプ大統領が典型的だが、ポピュリストの手による発信も、その情報の政治性を理解するリテラシーを市民に要求する。

 問題は、アメリカも中国も、自らの正しさを主張することに熱心でも、国際協調への関心は強くない、ということだ。さきの流行する言説をあえて言い換えれば、「自由民主主義体制のリーダーを自認してきたアメリカにも、権威主義体制(中国)にも国際秩序が牽引されないことが、戦後国際秩序への脅威」なのだ。WHOの例を出すまでもなく、国際機関などグローバルガバナンスのインフラですらも、大国政治に巻き込まれている。アメリカは政権交代したとしても、国内政治の分極化や財政制約を考慮すると、これまでのような国際協調に完全に復帰するとも思えない。それゆえ、国際秩序の未来を見通すと、主導する国が不在となり、G-7であれG-20であれ一部の国による協調も有効な手立てを打つほどの決定を行えない、リーダー不在の時代の登場は現実に近づいている

 しかし、厳しい状況を前にしても、それを甘受する必要はない。過去二つの大戦に匹敵するほどのインパクトを持った国際秩序の組み替えが自由主義に立脚した秩序構築に帰結するためにも、新しい国際協調主義の模索を各国政府に強く求める市民の声が重要になってくるとの確信を、私たちは持つべきだろう。


[i] グローバル化が過去三十年間、経済社会活動、また国家間の協力など脱国境的な動きが進む世界を特徴付けてきた。そういったグローバル化の推進を支えてきた思想(グローバリズム)は、貧富の差の拡大や環境破壊、そして地域統合への反発などで揺らいできた。そして新型コロナウイルス感染症の蔓延は、グローバル化への反発をさらに強めることにもなりかねない。もちろん、行き過ぎたグローバル化により生じた負の側面、たとえば富の集中や気候変動は是正される必要がある。しかし、ウイルスへの恐怖が作用する形で、労働力の自由な移動が妨げられたり、これまで以上に外国人排斥の動きが強まったり医療システムへのアクセスをめぐる差別が横行したり、と危険な状況が生まれることにも警戒が必要だ。

[ii] 戦後国際秩序にとって、自由主義、民主主義の拡大は重要なことだった。その観点から見れば、感染症対策とテクノロジーの問題は重要な問いを投げかける。たとえば、感染症の流行を阻止するために、市民の移動や情報発信を管理することが実現可能なとき、それをどう考えるか。 詳細は別稿で論じたいが、ここでは、自由主義の原則を曲げて国家権力を常態的に強化することがあれば、それは戦後国際秩序の核心であった、自由主義の世界的拡大に逆行する事態になりかねないことを強調しておきたい。

新型コロナウイルス対策で配慮すべき第三の軸としての市民的自由

市原麻衣子
一橋大学 法学研究科 准教授
民主主義の未来研究会 共同研究幹事

PDF

新型コロナウイルス対策の策定には、人命保護と経済的生存に加え、市民的自由に関する考察が必要である。これら3つの軸の間で妥協点を探る必要があるが、特に市民的自由の点で対策を効果的かつ支持されるものとするためには、情報透明性、説明責任、市民参加、取り組みへの制限設定が必要である。


 世界は今、新型コロナウイルスのパンデミックに直面している。標準作業手続きでは対処不能な事態に、多くの中央・地方政府が緊急事態宣言を発し、人々の動きに制限を掛けてコロナウイルスの拡大抑制を図っている。各国政府の対策を規定しているのは特に、人命保護と経済的生存という2つの軸である。医療崩壊を予防し、重篤患者に対する適切な治療機会を確保しながら、人々の経済活動を継続あるいは早期に再開して、個々人の収入が絶たれないよう配慮した対策が行われている。

 早々に感染拡大が見られたアジアでは、中国、台湾、韓国などが人々の動きを厳格に制限し、感染抑制の上で大きな成果を上げている。日本でも厳格な外出禁止措置を求める声が拡大し、日本政府も近く、感染者の行動経路を追跡するアプリの実証実験を開始する予定である。

 しかし、人々の動きを厳格に取り締まることについては、市民的自由を第三の軸とした熟慮無しには取り返しのつかない事態になり得る。ウイルス拡散を抑制する方策は、国際人権条約をはじめとする制度に体現される人権規範を侵害するものであってはならないが、現在取られている近隣諸国の政策では、市民的自由を脅かす事例が後を絶たない。過去15年間見られてきた民主主義後退現象を反映し、権威主義国のみならず民主主義国においても身体的自由とプライバシー権の侵害が多発している。

 最も根本的な人権としての身体的自由に対し、中国ではドローンまで用いた徹底的な監視が行われているが、最近では広東省においてアフリカ人を対象とした強制検査・隔離までもが行われており、恣意的かつ差別的選別にアフリカ諸国から反発が噴出している。ウズベキスタンでは軍が動員されて外出禁止令遵守の徹底が図られており、権威主義的統治スタイルが如実に表れたものとなっている。政府に対して身体的自由への制限を過度に認めれば、これが恣意的に利用される可能性も生じる。実際、中国では刑期を終えて出所した人権派弁護士が、新型コロナウイルスを理由とした隔離措置の名目で、出所後も家族の元に帰されずにいる

 民主主義国でも身体的自由の侵害が見られる。自宅隔離違反者を射殺するよう指令を出したフィリピンのドゥテルテ大統領の例は、少数の感染者をスケープゴートにし、強い大統領を打ち出して大衆迎合を図るポピュリズムの手法を用いたものである。より安定した民主主義国の中でも、韓国は自宅隔離違反者に監視腕輪を装着して監視することを決定し、台湾は自宅隔離違反者を強制的に隔離施設に送ることとした。

 こうした制限措置を補助する方途として各国で開発・利用が加速しているのが、ITを用いた個人追跡の動きである。中国では監視用アプリをスマートフォンにインストールすることが義務付けられ、個人にデータ提供の選択権を委ねることなく、政府は各個人の位置情報をはじめとする個人データを入手している。韓国は、携帯電話、クレジットカード情報、防犯カメラ映像などを用いて感染者の行動を追跡し、利用した公共交通機関や立ち寄った店の情報をウェブサイトで開示しているほか、海外からの渡航者には位置情報追跡アプリのダウンロードを義務付けている。個人名を特定しない情報公開であっても、感染者の行動詳細がネット上で公開されることで、行動範囲から結局個人が特定され、様々な嫌がらせを受けるケースが多々見られる。これはプライバシーの侵害にあたる。

 コロナウイルスの感染拡大スピードの速さと致死率の高さを考えれば、人命を優先した措置を取る必要がある。しかし、その過程で発生する人権侵害は必要最低限に留めなければ、感染者の生存と尊厳を傷つけるのみならず、監視国家形成の素地をも整備し得る。では、効果的なウイルス対策のために、どこまで人権侵害を容認すべきなのか。どのような対策であれば支持を取り付けられるのか。この問いに対する答えは各地域の事情や文化によって異なり、一律の基準を設けることは可能でも望ましくもない。しかし一様に必要なのは、発生している現象と政府の対策に関する真実を市民が掴むために必要となる情報透明性と説明責任であり、政府に対するチェック機能を果たすための市民参加および取り組みへの制限設定である。

 感染発生に関する真実の情報を提供することは、対策の基本的な第一歩となる。だからこそ韓国疾病管理本部が毎日行っている記者会見では新規感染者に関する情報開示が徹底して行われているし、台湾の中央感染症指揮センターも、ジャーナリストからの質問が途切れるまで記者会見を続け、台湾政府の政策に関する説明を行っている。

 ただし、政府から発信される情報の信憑性を確保するためには、政府に対するチェックが働かなければならない。この点で重要なのは、報道機関や市民社会からの情報発信および人々の情報アクセスを阻害しないことである。

 それにもかかわらず、偽情報の発信や混乱を避けるためとの名目で報道の自由が制限されている国が少なくない。国際非営利法制センター(International Center for Not-For-Profit Law)によれば、4月22日現在、22か国において新型コロナウイルス対策を名目として報道・言論の自由を制限する法令が制定されている。アジアだけを見てもウズベキスタンカンボジアタイフィリピンマレーシアにおいてこうした法律が制定された。それ以前から報道の自由が制限されている国と合わせ、報道の自由がますます脅威に晒されていることが伺える。

 偽情報を抑制し混乱発生を防止することは必要ではあるものの、報道の自由が持つ政府のチェック機能の重要性に鑑み、偽情報対策は政府が行うべきではない。政府の介入を許せば、新型コロナウイルスの発生を告発した中国武漢の李文亮医師らの例のように、恣意的な言論弾圧が行われ、事態を悪化させる可能性すらある。日本でも新型コロナウイルス対策に関して厚生労働省がツイッター上で国内外の報道内容に反論する事案が度々見られるが、反論自体に不正確な部分があり混乱を招いているのみならず、報道の自由を侵害しかねない行為であり、行うべきではない。民間のファクトチェック団体、新聞社等が独自に行っているファクトチェック、および台湾などで用いられているファクトチェックボットなど、民間の取り組みにファクトチェック機能を託すべきである。

 その上で、感染者の追跡については、個人情報を特定せず、政府による個人情報入手を可能としないなどの制限を設け、市民社会による監視を組み込んだアプローチを取ることが望ましい。その点で、欧州で開発された汎欧州プライバシー保護近接追跡(Pan-European Privacy-Preserving Proximity Tracing: PEPP-PT)のアプリが参考になる。PEPP-PTは欧州8か国にまたがる130名以上の民間研究者が協同する超国家的なプロジェクトで、本部は非営利団体としてスイスに設立される予定となっている。データ保護、暗号化、プライバシー分野などの研究所や専門家もメンバーに含まれ、EUの一般データ保護規則に準拠したアプローチを取っている。PEPP-PTの追跡アプリでは、利用者の位置情報を記録せず、ブルートゥースの信号のみを利用して濃厚接触の情報のみを共有し、個人情報はサーバーに残さない。個人を特定しない感染者位置情報のみはサーバーに保存されるが、アプリ削除後14日でサーバー上のデータも自動的に削除される。日本で開発されている追跡アプリも、民間のコードフォージャパンが主に開発に当たっており、ブルートゥースを使用している点でプライバシーに対する配慮がなされてはいるが、プライバシー保護の専門家・機関の関与を高めていく必要があろう。

 情報透明性、説明責任、市民参加、そして明示的な制限を設定した取り組みは、政府と市民の信頼関係醸成に貢献することで、長期安定的な方策の形成に役立つ。人権侵害は市民が納得し、自発的に受け入れるものに留めるべきであり、それを可能にすべく各国政府は情報透明性、説明責任、市民参加、そして明示的な制限を設定した取り組みを行うべきである。

竜を退治しようとするものは、自分が竜にならないようにしなくてはならない

志賀裕朗
JICA緒方貞子平和開発研究所
民主主義の未来研究会 研究メンバー

PDF

新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、そのインパクトの大きさが人々を震撼させるなか、「パンデミックをどう終息させるか」の議論と並行して、「コロナ終息後の世界はどのような世界になるのか」を問う議論が世界中で沸騰している。ある者は「脱グローバリゼーションの加速」を予測し、またある者は「自国第一主義の時代の到来」を予測する。そのなかでも有力なのが、「欧米諸国の自由民主主義体制と中国・ロシア等の権威主義体制の体制間競争」の激化を予測する声である。


 確かに、コロナ禍を契機として、「両陣営」を代表する米中の対立は激化の一途を辿っている。ウイルスの発生源を巡る両国の舌戦は加熱しているし、アメリカは世界保健機関(WHO)が「中国寄り」だと批判して資金拠出を一時停止した。中国は、国内の感染拡大防止に忙殺されて身動きが取れない欧米諸国をあざ笑うかのように、「健康シルクロード」構想のもと、127カ国および4つの国際機関にマスクや防護服、ウイルス検査キットを供与したり医療チームを派遣する「マスク外交」を展開している。ロシアも負けじと、旧ソ連諸国のみならず、イタリアやセルビア等の欧州諸国やアメリカにまで迅速な人道支援を実施している。こうした「微笑み外交(charm offensive)」は、中国やロシアが、コロナ禍のような危機対応における権威主義体制の優位性を誇示しようとしている証拠だと理解されている。欧米諸国側でも、中国のような「ビッグデータ権威主義」の有効性への信頼が向上し、「中国が勝者、アメリカが敗者」だと見えるようになるかもしれないと予測する声も上がりはじめている。これを受けて、アメリカでは、コロナ禍で中国の脅威が明白になった今こそアメリカは自由民主主義を守るために立ち上がるべきであり、民主化支援を強化して同盟国の民主的制度の強靭性を確保すべきだという見解が勢いを増している。

 しかし、今のような重大な危機のさなかであるからこそ、性急に結論を急がず、熟議を重ねて、「コロナ後の世界」をコロナ前の世界よりも良い世界にする(BBB: Build Back Better)ため、「何をなすべきか(何をすべきでないか)」を考えるべきだと思う。まず、新型コロナウイルスの感染拡大を抑止するという喫緊の課題への対処において、権威主義と民主主義のどちらが優れているかを示す証拠は(少なくともこれまでのところ)ない。確かに中国は、武漢でこそ対応に失敗したものの、その後は都市封鎖などの強権的措置によって全国的な感染拡大防止に成功した(ように見える)。しかし権威主義国家であるイランは対応に失敗しているし、早期に国境閉鎖等の対応を開始していたロシアでも4月中旬になって感染が急速に拡大している。一方の自由民主主義諸国においても、アメリカやイタリア、スペインでは多数の死者を出しているが、台湾や韓国はウイルスの封じ込めに成功していると評価されている。このことからすれば、新型コロナウイルス感染拡大防止の成否は、単に政治体制の相違によるものではなく、医療体制の充実度、市民が政府に寄せる信頼の程度やトップリーダーの資質、2002~03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行の教訓に学んでいたか否か、政府が国民の行動を監視する基礎となるデジタル・インフラの整備度合いなど、極めて多数の要因が複雑に絡み合っていると見るべきであろう。

 さらに、コロナ対策の成否のみを基準として政治体制の優劣を論じる短絡的な風潮は、「コロナ後の世界」における自由民主主義体制の将来にとって危険である点も指摘しておかなければならない。もちろん、疫病から国民の生命を守ることは政府の最も重要な責務であることは論を俟たない。しかし、今回のコロナ禍で明白になったのは、効果的な感染拡大防止措置が自由民主主義の諸価値にとっての重大な脅威となることである。そして、そうした脅威が一時的なものにとどまらず、「コロナ後」においても常態化し、ひいては自由民主主義体制そのものを危殆に瀕せしめてしまう危険があることである。

 まず、ウイルス封じ込めに伴う人権制約は、移動・集会の自由のみならず、教育を受ける権利や宗教活動の自由、経済活動の自由(社会的弱者にとっては生存権に直結する)など、極めて広範に及ぶことが明白になった。外出禁止令などの強制措置を執行する警察や軍による人権侵害も横行している。例えば南アフリカ共和国では外出禁止措置を履行する軍や警察による暴力が横行し、死者まで出ている(アパルトヘイト時代に白人警察が使っていた装甲車から降りた黒人警官が、かつての黒人居住区で、貧困のゆえに稼ぎに出ざるを得ない貧困層の黒人を殴打している映像には心が痛む)。心配なのは、多くの民主主義国においてこうした人権制約を憂慮する声は弱く、野党やメディア、そして大多数の国民が「政府の断固たる措置」を要求していることである。市民の間に相互監視の風潮が高まったり、少数者に対する差別・暴力が頻発していることも憂慮される。例えばインドでは外出禁止のなかで商売を続けるムスリムの露天商に対する暴力事件が頻発している。上記の傾向はいずれも、「コロナ後」に「正常への復帰(return to normalcy)」が行われずに「異常事態」が常態化してしまい、気が付いてみれば権威主義体制とさほど変わらないような抑圧的で人権が顧みられない社会になってしまうという事態を招く危険に直結している。

 自由民主主義の長所(権威主義に対する比較優位)は、政府も市民も判断を誤るかもしれないという大前提に立ち、立憲主義に基づいて立法・行政府に対するチェックアンドバランスを働かせうることである。コロナ禍のような危機の際には、政府が科学的知見に基づいた必要最小限度で透明性のある政策を実施しているかを常にチェックにすることが特に重要である。熟議と試行錯誤を繰り返しながらも、国民の生命と自由、経済を守る政策を実現することこそが、権威主義に対する自由民主主義の優位性の何よりもの証拠となるはずである。「竜を退治しようとして気付いてみれば自分が竜になっていた」ということのないようにしなければならない。

権威主義国の人道支援:ロシアの場合

志賀裕朗
JICA緒方貞子平和開発研究所
民主主義研究会 研究メンバー

PDF

ロシアは、コロナ感染拡大に苦しむ国々に対して人道支援を実施している。それは、軍を動員した迅速な支援であり、しかも「敵陣営」であるNATO/EU加盟国(アメリカやイタリア)も支援しているという点において特異である。尤も、その質には疑念が呈されているし、国内で異論が出るに及んで、その持続可能性はなお不透明である。


 「ポスト・コロナの世界」では「民主主義諸国と権威主義諸国の体制間競争」が激化すると予測する声が日増しに有力になっている。そうしたなか、体制間競争の道具として俄かに注目されているのが人道援助である。国際援助が大国間競争の道具となることは別段珍しいことではなく、冷戦期には米ソ両陣営はいわゆる「第三世界」に対して援助競争を繰り広げたし、最近では中国が「一帯一路」構想のもと、インフラ整備を目的とした多額の援助を行って世界の耳目を集めている。しかし、コロナ危機下に権威主義国によって実施されている人道援助は、やや異なった様相を呈している。中国の人道援助については既に多くの論考があるので、ここでは、あまり注目されていないロシアによる人道援助について考えてみたい。

 ロシアは、旧ソ連諸国のみならず、EU加盟申請国(セルビア)やNATO諸国(イタリア、アメリカ)にまで迅速な人道援助を実施している。アメリカに対しては、3月31日、米露大統領会談での合意に基づいて医療機器や防護用品などを供給することを決定し、翌日には支援物資を満載した軍の大型輸送機がアメリカに向けて離陸した。イタリアセルビアに対しても、それぞれ両国の首脳会談後、軍の輸送機が大量の支援物資と医療チームを空輸した。

 コロナ禍に対するロシアの人道援助は、以下の2点において、過去に行われた人道援助とは異なっている。第一に、ロシアが支援の迅速性において、民主主義諸国を完全に出し抜いたことである。いうまでもなく、人道援助、特に疫病対策支援は文字通り一刻を争うから、迅速かつ大量の支援がモノをいう。この点で、これまで幾多の危機対応でリーダーシップを発揮してきた欧米民主主義諸国は完全に後れを取り、先んじたのは権威主義体制陣営のロシア(と中国)であった。ロシアは、生物化学兵器戦部隊の要員を、物資と共に航空宇宙軍の大型輸送機で大量に送り込むことに成功した。イタリアに派遣されたロシア軍の輸送機やトラックには、ハートマーク型のロシア・イタリア両国の国旗に「ロシアより愛をこめて」とロシア語・イタリア語・英語というメッセージがあしらわれたロゴがつけられており、用意の周到さを見せつけた。

 第二に、ロシアの支援は、いわば「敵陣営」であるEU・NATO諸国(アメリカ、イタリア)に対して行われた点でも特異であった。ロシアのメディアは、「NATO諸国にはイタリア支援の動きは見られない。欧州が新型コロナウイルスに侵されているというのに、NATOはどこに行ったのか?」と揶揄したが、こうしたロシアの動きを可能にしたのは、「敵陣営」の結束の乱れだった。ロシアがクリミア半島に侵攻して国際問題の解決に武力行使も辞さない姿勢を見せつけて以来、EUやNATOはロシアに対する「強靭性」強化を目指してきたが、コロナ危機で図らずも結束の脆弱さが露呈することとなった。たとえばイタリア政府は今年2月からEU諸国に対して医療物資の提供を求めてきたが、どの国も応じず、逆にマスク等の物資の囲い込み(輸出禁止や国家管理制度の導入等)を図った。また、EUは域外への医療物資の輸出制限を発動し、これについてセルビア(加盟交渉中の為にEU未加盟)のブーチッチ大統領は「欧州の連帯などおとぎ話だった」 と怒りを露わにした。さらに、世界最多の感染者を抱える米国は、高性能マスクなどの「買い占め」に走っているとされる。欧州メディアによると、アメリカの業者が、中国からフランスに輸出される予定だったマスクについて3倍の買取価格を提示して発送先をアメリカに変えさせたという。これについては、フランスの外交官が「この『ハイジャック』にアメリカ政府が同意していないとは信じがたい」と批判する騒ぎとなった

 こうした欧米の結束の乱れは、民主主義体制の弱点に起因するものであった。新型コロナウイルスの世界的拡大により、各国政府は感染封じ込めの「共通テスト」を受けることを強いられているが、情報統制が容易な権威主義国の政府に比べて、民主主義国の政府は国内感染状況の悪化や他国の「好成績」などの不都合な情報を隠すことが出来ず、効果的な政策を求めて苛立つ国民の声に迅速に対応することを求められる。国内でマスクが不足すれば、ドイツのように禁輸措置を取ることも、アメリカのように同盟国から「札びらを切って奪って」くることも、国民の不安に応えて責任を果たすことを求められる民主主義国の指導者にとっては、少なくとも短期的には合理的行動となるのである。

 尤も、ロシアの人道支援にも問題がないわけではない。まず、その質について疑問が呈されている。例えばイタリアでは、ロシア支援物資の8割が使い物にならなかったと同国の日刊紙ラ・スタンパが批判し、これにロシア外務省の報道官や在イタリアのロシア大使館が抗議する事態となった。さらに、皮肉なことに、ロシア自身も、国内にわずかに残る民主的要素によって、人道支援を行う手足を縛られることになるかもしれない。中国と同様に権威主義国に分類されるロシアではあるが、一党独裁の中国とは異なり、ロシアではプーチン政権に批判的な野党や活動家、メディアも存在する。クリミア侵攻に伴う西側民主主義諸国による対ロシア経済制裁や石油価格の低下等によってロシア経済は低迷しており、政権への国民の不満は高まりつつある。世論調査結果によれば、プーチン大統領が現在の任期の2024年以降も政権を担うことについて、2017年8月には国民の67%が賛成していたが(反対は18%)、今年3月には賛成は46%にまで減少し、逆に反対は40%に上昇した。プーチン大統領は、自身の5選に道を開く憲法改正案についての国民投票を行う予定としている関係で、世論動向に対して敏感になっている。そうしたなか、反体制活動家のナヴァーリヌイ氏が、「ロシア国内では(物資不足のために)医師がガーゼから包帯を縫うことを余儀なくされているのに、政府は外国を支援している」として、イタリアでの人道援助を批判したのである。4月に入ってから国内での新型コロナウイルスの感染拡大が一気に加速していることに危機感を抱いているプーチン政権は、国民の不興を買いかねない海外での人道支援を躊躇するようになるかもしれない。

 こうしてみると、最も権威主義体制が強固な中国が最も人道援助を迅速かつ大量・持続的に実施できるという何とも皮肉なことになりそうである。そうならないよう、欧米をはじめとする民主主義諸国は、初動での遅れを取り戻し、感染爆発が先進国以上に悲惨な結果をもたらすと予想されている途上国に対する人道支援について、結束して対応し、面目を回復しなくてはならないだろう。

コロナウイルスと代議制民主主義

竹中治堅
政策研究大学院大学教授
民主主義の未来研究会 研究メンバー

PDF

 コロナウイルスが猛威を振るっている。日本での死者は200人台にとどまるが、欧米の一部の国は万単位の死者が出ている。

 感染症への対策の基本は人の動きを減らし、相互の接触機会を下げることである。感染症が治らない場合、このことは代議制民主主義にとって不可欠な議会と選挙のあり方に重要な意味を持つ。

 議会のあり方について論じてみよう。感染症が今後も猛威を振るう場合、議会のあり方を大きく変える可能性がある。


 

 これまで議員が会議場に集まって議論を行ってきた。感染を避ける場合、これまでのように議員の位置が近い形で議論を行うことは危険ということになる。イギリスはすでに議場に入る議員の数を制限、入れない議員はテレビ会議で参加する。よく考えると日本の国会も議員が首相や大臣に対して質問を行うことが議会活動の相当な意味を持つ。対面で行わなくてもZoomなどのリモート会議システムで行い、他の議員はそれを傍聴するということも可能であろう。投票も電子投票システムで行うことは可能である。電子投票システムの導入は実は日本のように記名投票が少ない国にとっては重要な意味を持つ。日本では四つの投票方法がある。記名投票、起立採決、異議なし採決、押しボタン式投票がある。押しボタン式投票は参議院だけで用いられる。記名投票や押しボタン式投票は個々の議員の投票行動が記録される。しかし、衆議院では記名投票が用いられることは少ない。つまり個々の議員の投票行動は記録に残らないことが多い。電子投票システムが導入され、それが常態となれば、個々の議員の投票も記録されることになるだろう。これは有権者から見ると政治の可視化という意味では重要な改革となるはずである。Social Distanceは民主主義の深化をもたらすということである。

  次に選挙のあり方への影響を考えてみる。選挙活動の仕方がまずかわるはずである。これまでのように多くの聴衆を集めて選挙活動や討論会を行うことは難しくなるだろう。選挙活動もテレビやリモート会議システムを用いて行うようになるだろう。例えばZoomで候補者の討論会を開き、それを関心のある有権者が聞くことが考えられる。

 より重要なのは実際の投票をどう行うのかということである。感染が深刻になり、投票所に行くことも感染拡大のリスクを生むので好ましくないという認識が広く共有されれば、投票のあり方も見直されるかもしれない。

 具体的には選挙にも電子投票システムを導入し、投票所に行かなくても投票することを可能にすることが考えられる。ただ、電子投票システムが導入された場合、これは別の意味で民主主義にとって重要な意味をもつ。電子投票システムがインフラとして備えられるようになれば、選挙以外にもこのシステムを使うことを求める声があがることは違いない。電子投票システムを使って国民投票をより多くの政策課題に対して行うことを求める声が上がってくることが予想される。現在日本では国民投票は憲法改正の場合においてのみ可能だった。

  民主的正統性の観点からは国民投票は基本的には全ての国民が参加するために政策に対し正当性を加味できて、一見、好ましいように考えられる。ただ、国民投票は一つの問題に対して複数の政策が提案されている場合に政策相互の調整や政策を支持する利害関係者と調整を行うことには向いていない。調整にあたるのは政党や議員の方がたけている。ただ、国民投票の正統性は強い。電子投票システムによって簡便に行えるようになった場合、これを現在のように例外的な扱いとしつづけるためには代議制民主主義の長所を入念に説明する必要がある。我々は代議制民主主義の長所について改めて考えるべきである。

新型コロナウイルス感染症と民主主義の将来‐市民社会の役割

矢吹公敏  
矢吹法律事務所弁護士
民主主義の未来研究会 研究会メンバー

PDF

 民主主義の最大の敵は人々の恐怖と不安ではないかと思われる。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がもたらした世界の恐怖と不安は、そのまま民主主義に対する挑戦として位置づけられる。

 第一次世界大戦後のドイツに出現したワイマール共和国において、民主主義が根付かず最終的に国民の代表機関である国会が政府を選出できなくなり、大統領がヒットラーを首相に任命し、独裁政府が合法的に成立した事はそれほど遠くない昔である。その際、それを強く支持したのは、本来民主主義の源である国民であり、ポピュリズムと民族主義に狂乱した国民による支持だったのである。

 民主主義の維持には、それを守る制度としての参政権、報道の自由を含む表現の自由、その前提としての思想・信条の自由のような「人権」に対する深い尊重の念が必要である。それを尊重しない国民がいるのであれば、そこから民主主義の危機が始まる。

ギリシャの都市国家から様々な変容を遂げて築き上げてきた民主主義ではあるが、それ自体脆弱な制度である。その理由は、それを支える市民の考え方次第だという点である。今回のCOVID-19との戦いについても、市民社会が、その特性である良心と理性により、人権に対する深い尊重の念を維持し、ポピュリズムや全体主義の方がウイルスとの戦いには有効であるといった考え方を寄せ付けない力強い集団を維持していくことが大切であると考える。

民主主義を活かすも殺すも私たち市民社会(注)なのである。

 

(注)本稿で「市民」の要素として以下の点を前提にする。

(1) 階級や富による特権に基づき制度的に区別された人民ではなく、一般的な人民である。

(2) 参政権を中心とした権利を認知し政府や経済界に対して抑制的かつ監督的な作用を自立的に行使することができる人々である。

(3) 必ずしも国家を前提とする国民である必要はない。

 

 参政権を中心とした人権を認知し政府や経済界に対して抑制的かつ監督的な作用を自立的に行使することができるという点では、教育やある程度の経済的基盤も必要であり、事実上全ての一般的市民を包含するわけではないが、限定することはしないでおく。

 もう一つの課題として検討する必要がある事項として、市民社会の中に、「公益」のためには一定の人権制約も許容されるという議論があることである。日本国憲法13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、『公共の福祉に反しない限り』、立法その他国政のうえで、最大の尊重を必要とする。」(二重鍵括弧は筆者挿入)と規定していることも理由の一つとされる場合がある。

 今回のCOVID-19の蔓延防止のために、多くの政府が外出制限や施設の使用強制を国民に課している(フランス、イタリア等は罰則付きで外出制限を課している)。また、市民社会自身が、十分に精査することなく移動の自由、居住の自由や財産権の保障という基本的人権を制限すること自ら認めるリスクを感じる。

 国際人権規約(自由権規約)4条では、非常事態における人権制約とその範囲を規定し、「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合」に「事態の緊急性が真に必要とする限度において」(to the extent strictly required by the emergencies of the situation)、規約に基づく義務に違反する措置をとることができると規定している。ただし、このような真の必要性の要件の他にも、締約国が国際法に基づく他の義務に抵触してはならず、また人種、皮膚の色、性、言語、宗教又は社会的出身のみを理由とする差別を含んではならないと規定し、さらに手続として他の締約国への通知を要件としている。また、そのような場合でも、表現の自由、集会・結社の自由、公正な裁判を受ける権利は制約することができるとしつつ、生命に対する権利や拷問禁止、思想・良心・宗教の自由等については侵害してはならないとしている。

 さらに、COVID-19の関係では、新型インフルエンザ等対策特別措置法の解釈で対応しようという議論や災害対策基本法やその他の災害対策関連法制を利用し法律を拡大解釈することで対応しようという意見もある。しかし、本来法律の解釈は立法事実に基づく立法者の意思の範囲において許されるべきことであり、政府がそれを越えて拡大した解釈をすべきではない。迅速性を念頭に置いて、立法による対応を急ぐことで対処すべきではないだろうか。

 

 民主主義の基本は多数決であるが、市民社会は、少数者の人権を多数決で制限することに対する躊躇さを常に良心をもって自覚することが肝心である。「公益」という名のもとに、内容的にも手続的にも十分な精査をすることなく人権を制限することがないように、市民社会に慎重さがなければ、市民社会の自己否定ともなりかねない。

COVID-19に関連するDemocracy News

COVID-19と民主主義に関連するリソース

  • ヒューマンライツウォッチのCOVID関連の人権チェックリスト (外部サイト
  • Asian Legal Conversations – COVID-19 (メルボルン大学) (外部サイト
  • ‘Covid-19 Toolkit for Civil Society Partners. Emergency Powers and Crisis Responses: Human Rights Risk’ (Rights and Security International) (外部サイト
  • 国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)のCOVID-19特設サイト(外部サイト
  • ファクトチェックイニシアティブのCovid-19特設サイト(外部サイト
  • V-demの新型コロナウイルス対策の影響による、民主主義後退リスクの調査結果(外部サイト
  • Government responses to Covid-19 (New Zealand Centre for Public Law at Te Herenga Waka—Victoria University of Wellington, the Center for International and Area Studies at Northwestern University and International IDEA) (外部サイト)
Share on facebook
Share on twitter
Share on linkedin